能は江戸時代、幕府の重要な儀式の際に催される芸能、すなわち式楽としての地位を獲得し、武士の教養という色彩がより強くなります。能役者は幕府や諸藩から扶持を支給され、全国の城や武家屋敷に能舞台が設けられ、折々の節目に儀式としての能が演じられました。
江戸城は、そういった式楽の大本として複数の能舞台を備え、正月の謡初め儀式ほか、さまざまな局面で能が演じられていました。現在一般公開されている皇居東御苑には、本丸御殿という城の中心施設が存在していました。本丸御殿は、儀式や謁見を行う「表」、正室や側室が暮らす「大奥」、その間にあって将軍が生活や執務を行う「中奥」からなる3層構造。表のなかでも、大広間の正面という最も目立つ場所にあったのが「表能舞台」です。
表能舞台では、跡継ぎの誕生など特にめでたい時、「町入能」が催されました。普段は城内に入れない町人にも、能見物が許されたのです。しかも、お土産に酒や菓子までもらえるという大盤振る舞い。町入能を描いた当時の浮世絵には、大はしゃぎする町人の姿が描かれています。