夏目漱石の名作「我輩は猫である」に、主人公の猫が主人の苦紗弥先生の性癖について語るくだりがありますが、そこに引き合いに出されているのは、謡のエピソード。後架(トイレ)で大声を出して謡をうたい、近所で「後架先生」とあだ名をつけられても一考に平気。熊野の一節、「これは平の宗盛なり」というところを「これは平の宗盛にて候」と、間違いを繰り返し、失笑をかっている、と皮肉っています。また「草枕」にも、この旅を能に見立ててみたらどうだろうと思う場面や、「七騎落」「墨田川」「高砂」といった具体的な能に関する記述が見られます。
漱石は、熊本の五高に赴任当時、教授たちの間で盛んに謡われていた宝生流の謡に親しみ始めました。「後架先生」のエピソードも、その頃の実体験をもとにしています。その後、英国留学などによる中断を経て、高浜虚子の紹介でワキ方下懸(下掛)宝生流の家元・宝生新に謡を習うようになりました。妻の鏡子によると、漱石は謡を好み、よく謡っていたということです。有志の稽古会にもしばしば顔を出して謡っていました。
漱石の謡はどういうものだったのでしょうか。周辺を探りますと、寺田寅彦には「先生の謡は巻舌だと言ったら、ひどいことを言うといつまでも覚えていた」、野上豊一郎には「上手とはいえないが、下手とも言えず、個性的であった」、野上弥生子には「ヤギの鳴くような甘ったるい間のびした謡で及第点は上げられない」、安倍能成には「節扱いなど器用だったが放胆であまり拘泥しない謡い振りだった」、師匠の宝生新には「面白いのは謹厳な人格者の漱石先生の謡が、非常に色気のあったところだ」と評価されています。
作品「永日小品」中の「元日」には、弟子たちが新年のあいさつに訪れた際、漱石は、高浜虚子の鼓で謡をうたうことになり、初めて鼓と相対峙したためドギマギしてしまった、という話が興味深く綴られています。明治の文化人には、能は大変身近なものだったことが窺えます。
*「永日小品」並びに漱石の作品の多くは、青空文庫にて読むことができます。
*【2015年1月30日追記】イラストは小鼓ですが、「永日小品」に「…鼓がくると、台所から七輪を持って来さして、かんかんいう炭火の上で鼓の皮を焙(あぶ)り始めた。」とあるため、虚子が持ってきたのは大鼓だと考えられます。なぜこの叙述で大鼓と思われるかは、トリビアNo.70をご参照ください。