大方の場合、能の舞台は登場人物同士のやり取りを、異世界のものとして観客席から観るものです。演じる側が、観客を舞台の参加者と見て演技することはほとんどありませんが、「百万」という演目では、観客も重要な舞台の要素となります。
シテの百万は曲舞の名手。子と離れ離れになって物狂いになっています。百万は「嵯峨清涼寺の大念仏」のイベントに集まった群衆の前に現れ、門前の男が唱える念仏が下手だと、みずから念仏を唱えます。やがて子別れした自分の身の上を語り舞っているうちに百万は心乱れ、その群衆の中に別れた実の息子はいないかと探して走り回ります。観客は、嵯峨の大念仏に参加した群衆のひとりとして、そのシテの必死の狂乱を観ることになるのです。大念仏に集まった人びとは数万人の規模だったと言われます。能舞台の周囲を埋め尽くす大群衆をイメージすることで、舞台上に留まらない能の世界が体感できるでしょう。