江戸時代、能役者は幕府や藩に召し抱えられて扶持(給料)を得て生活していました。各流儀の大夫(宗家)は、将軍家から江戸市中に土地もまた、拝領していました。古地図をひもとくと、流儀名のついた「○○屋敷」(または○○大夫)という表記を見つけることができます。
これらの屋敷は、時代によって何度か転居もなされました。江戸末期、1850(嘉永3)年の近江屋版「江戸切絵図」の地図を見ると、現在の中央区銀座に観世流と金春流の屋敷のあったことが確認できます。観世屋敷は銀座2丁目、金春屋敷は銀座8丁目に位置していました。
金春屋敷のあった8丁目の博品館近くの道には「金春通り」の愛称が残り、毎年8月に開催される「能楽金春まつり」が道行く人を楽しませています。
一方の観世屋敷の跡地には、往時を偲ばせる史跡は見当たりません。ですが観世能楽堂は、このたび渋谷区松濤から銀座へ移転してきます。2016年、松坂屋跡地の再開発ビル地階に、装い新たな観世能楽堂がオープンします。明治維新にともない土地を返上して以来、銀座と観世流の縁がおよそ150年ぶりに復活するといえるでしょう。