神社仏閣の建設・修繕費用を集めるために能や相撲を興行することを「勧進」といいます。この目的で能楽を興行する「勧進能」は、室町時代から江戸の末期まで行われました。14世紀半ば、四条河原で行われた勧進能では、数階建ての座敷が組まれましたが、観客が興奮して倒壊し、死者100人の大惨事となったといいます。3日、4日と続けて行われた勧進能には、江戸時代には、日に3000人から7000人が集まったとの記録もあり、江戸の後期には25日間興行された例もあります。この背景には「勧進」本来の、寄付や喜捨を集めるものから、能役者にスポットがあたる興行そのものへと、目的が移ったという面が考えられます。
能は幕府の式楽として、一般庶民には、普段は鑑賞が禁止されていました。勧進能にはそのような縛りはなく、一般庶民も楽しめるものとされました。まさに非日常の一大イベントとして、多くの人が集まったのです。勧進能のために特設舞台が作られ、その周辺にはさまざまな市が立ち、その経済的な波及効果も相当なものであったようです。