「善知鳥(うとう)」の主な舞台となるのは、越中立山、北アルプスの立山連峰です。標高3000メートルを超える立山は、今や立山黒部アルペンルートの整備された移動手段で、四季を楽しむことができる観光地ですが、険しい岩肌の合間から硫黄が噴き出す谷の光景から、昔から「立山地獄」と呼ばれて信仰の対象となってきた土地です。
『万葉集』でも神のおわす場所として歌が詠まれたこの地は、平安時代、鎌倉時代と、仏教が日本に広まる過程で、具体的な地獄が現れ出たところとみなされるようになります。こうして「立山地獄」の名は多くの人びとに知られ、数々の伝承や説話を通じて広がりをみせていきます。能の「善知鳥」もそういう流れを汲んでいるのでしょう。「善知鳥」でシテが見せる陰惨な地獄の責め苦は、多くの人が知る、リアルな地獄の景色が背景にあるのです。さて、江戸時代になると、加賀藩の保護の元、宿坊や登山ルートが整備され、全国から人びとが訪れます。生前に地獄を詣でれば、死後には浄土往生が叶うとされました。これは、その世界を図式化した「立山曼陀羅」を持って、最初は宿坊の人が、後には富山の薬売りが、全国にプロモーション活動を行った結果として、導かれました。