能「弱法師(よろぼうし、よろぼし)」は、人の讒言で息子を追放してしまった父と、追放後に、弱法師と呼ばれる盲目の乞食法師となった息子が再会し、和解するという物語です。この能のポイントは、彼らの運命的な再会です。その時と所こそ、大阪の古刹である四天王寺で彼岸に行われる日想観(じっそうかん)の法要でした。
日想観とは、仏教の修行のひとつで、西方に向かって、沈む夕日を観ながら極楽浄土を想う行法のことを指します。四天王寺は、6世紀に聖徳太子が建立したと伝えられる寺院です。当時の大阪は「難波の津」と言われ、四天王寺の門前まで海が迫り、ここから眺める夕日の美しさは、広く知られ、歌にも詠まれました。周辺には夕陽ヶ丘という場所もあります。
平安時代、弘法大師・空海は、西の海に沈む四天王寺の夕陽を見て、西方浄土に思いをはせる修行を始めたといい、これが日想観の由来となっています。12、13世紀以降は、春と秋の彼岸の中日に四天王寺に参詣し、「西門」から鳥居越しに西方に向かって夕日を拝むことが「難波の四天王寺の日想観」として庶民の間に広まっていました。四天王寺の西門は、極楽浄土の東門へ通じると信じられていたのです。