舞は、謡や囃子といった音楽的要素とともに、総合的な楽劇である能の、大本になるものです。舞という言葉は、能の、個々に現れるからだの動きを表現するだけではなく、懐の深い意味をもっています。能一曲を演じることを「能を舞う」と言います。広い観点からの「舞」は、音楽や動作をすべて含み込んだ、能の総合的な表現活動を総称しているのです。
一方で、能の一曲のなかの特定部分を、“舞”として、他の要素と分けて呼んでいます。中之舞、序之舞などがこれにあたり、小鼓や大鼓、太鼓といったリズム楽器と笛の音が織り成す囃子の音楽に乗って演じられるものです。
囃子に乗って演じられる“舞”では、男か女か、神か人かなどの役柄や、祝言物か修羅物か、あるいは鬘物かといった曲の違いに応じて、さまざまな種類があります。“舞”では、笛の旋律が主体的な役割を果たし、旋律の微妙な違いやリズムの違いによって、多彩な舞曲を構成します。以下に主な“舞”をご紹介します。
このほか、“舞”として
これら“舞”の数々は、その曲の軽さや重さの
一般的によく誤用されますが、能の世界では「能を踊る」、「能の踊り」といった言い方はしません。能はあくまでも舞うものです。舞踊として一くくりにされていますが、「舞う」と「踊る」にはどういう違いがあるのでしょうか。辞書をひもとくと、「踊る」「踊り」の場合は、リズムに乗って飛んだり跳ねたり、手足を躍動させる動作が主体で、「舞う」「舞い」の場合は、摺り足で舞台上を移動する動作が主体になると紹介されています。
昔から、そのように区別され呼びならわされてきましたが、その境界はいつの時代も曖昧ではあったようです。能にも、拍子を踏んだり、飛び返ったりするような型もあります。しかしそれらを含めて、能の世界では古来「舞う」を使用しているのです。
また神楽、今様、朗詠、延年之舞、曲舞といった日本古来の歌舞音曲は、ここで言う舞の要素をふんだんにもっていました。能はこれらの芸能を、さまざまなかたちで取り入れており、その観点からも、舞と能との切り離せない関係が見えてきます。