とある秋のこと。都の人が、信濃国更科の名月を眺めようと思い立ち、従者(同行者)とともに名月の日、姨捨山に登りました。平らな嶺に着いた都人が、月の出を待っていると、中年の女性が声をかけてきました。女は更科の者と言い、今宵の月は、ことのほか美しく照り映えるだろう、と都人に告げました。都人は、この近くに昔、老婆を捨てにきたという姨捨の跡があると聞くが、どこか、と問いかけます。女は、昔、山に捨てられた老女が、「わが心、慰めかねつ更科や、姨捨山に照る月を見て(姨捨山に照る月を見れば、悲しくなり、そんな自分の心を慰めるすべもないよ)」という歌を詠んだと教え、その老女の墓所を示しました。今なお老女の執心が残るのか、あたりは物寂しい様子です。そんな中、女は、後に月と共に現れて都人の夜遊を慰めよう(夜に歌舞を楽しむこと)と言い出します。そして捨てられた姨捨の老女は自分だと明かして木陰に消えました。(中入)
その後、更科の地に住む者が現れ、都人に姨捨の伝説を詳しく語り、今夜はここで過ごすようにと勧めました。そのうちに夜になり、すっかり晴れた空に、月が明るく照り映えています、都人がその景色を楽しんでいると、白い衣を着た老女の亡霊が現れました。老女は、この地の月の美しさを讃え、月にまつわる仏教の説話を語ります。なおも昔を懐かしみ、舞を舞うなどするうちに、やがて夜が明けてきました。都人が山を後にし、老女はそれを見送ると、捨てられた昔と同じく、ただ一人残されたのでした。
位の重い老女物のなかでも、この「姨捨(伯母捨)」と「檜垣」「関寺小町」の三曲は、『三老女』と呼ばれ、能の全曲中で最も重い秘曲とされ、めったに演じられません。ただ『三老女』の中では、この「姨捨」は、演者が最も早い時期に演じることができるので、他二曲に比べると目にする機会はあります
「姨捨」は、『古今集』の歌「わが心、慰めかねつ更科や……」をめぐる信濃国更科の姨捨伝説をもとにしていると思われます。姨捨伝説は『大和物語』『今昔物語』『俊頼髄脳』などに出てきます。『大和物語』『今昔物語』では、嫁にそそのかされた男が、母と慕ってきた老いた伯母を山に捨てるものの、後悔して連れ戻す内容で、男が歌を詠みます。一方、『俊頼髄脳』では姪を養女にして育ててきた老女が山に捨てられ、歌を詠むという話になっており、姪が連れ帰ったかどうかは定かではありません。能では、歌を詠んだ老女が山中で亡くなったことになっています。
間狂言で、老女がどのように捨てられたのか、その悲惨な伝説が語られますが、それはあくまで背景です。後場の夜半、澄み渡る名月の輝きに照らされた山中で、月の精ともいえるような不思議な老女が描き出す、寂しくも清らかで静かな、この世ならぬ情景こそが、この曲の焦点と言えます。
ごく限られた演者のみが舞うことを許される秘曲です。余分な説明は不要でしょう。至芸とともに、「姨捨」の世界に浸っていただければと思います。
演目STORY PAPERの著作権はthe能ドットコムが保有しています。個人として使用することは問題ありませんが、プリントした演目STORY PAPERを無断で配布したり、出版することは著作権法によって禁止されています。詳しいことはクレジットおよび免責事項のページをご確認ください。