建久四年[1193年]、源頼朝公が催す富士の巻狩[大勢で追い詰めた獲物を、武士が射る狩のこと]に参加することになった曽我十郎祐成(すけなり)、五郎時致(ときむね)の兄弟は、その場に実父・河津三郎の仇、工藤祐経も来ることを知り、仇討ちを決意します。
仇討ちに出る前に、兄弟は曽我の里にいる母を訪れます。出家せよとの母の言いつけを破り、勘当されていた弟の時致を許してもらい、また母に仇討ちに出る前の、別れを告げるためです。祐成は歓待されますが、時致は重ねて勘当だと言い渡されます。祐成がとりなそうとするならば、母は兄弟ともに勘当すると告げます。
そこで祐成は時致を伴って母の前に出て、仇討ちのことを説明し、時致の勘当を解くよう訴えますが、母は首を縦に振りません。兄弟は、母の頑なな態度に説得を諦め、泣く泣くその場を立ち去ろうとします。母はたまらずふたりを留めて許し、3人は和解の嬉し涙を流します。感極まった祐成を中心に、門出の盃を交わした後、兄弟は共に名残の舞を舞います。そして涙ながらに母に別れを告げ、見事に仇討ちを遂げようと勇んで出かけました。
いわゆる曽我物と呼ばれる「○○曽我」という名を冠する曲のひとつです。曽我物の各曲は、曽我兄弟の仇討ちをめぐる物語を、さまざまな角度から描写しています。悲しい運命に彩られるも、雄々しく華々しい曽我兄弟の物語は、能ばかりでなく、多くの芸能の題材になり、人々に親しまれました。
小袖曽我では、仇討ちを決意した兄弟が母の元を訪れ、弟の五郎時致の勘当を解いてもらい、母に暇乞いをする、というくだりに焦点を当てています。はじめ許されなかった勘当がついに許され、出立の酒宴を催すまでの親子、兄弟の情愛の細かな動きが表されます。
仇討ちという殺伐とした内容ながら、いつの時代も変わらない人情に主眼が置かれ、颯爽とした雰囲気が損なわれず、昔から大衆的な人気があったようです。幽玄が強調される多くの能と違い、兄弟が仲良く同じ型で悲しんだり、凛々しく相舞(あいまい)を見せたりする演出による、見た目の素朴な面白さも見どころのひとつです。
ちなみにワキの出てこない点でも、異色の能です。
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