醍醐(だいご)天皇の御世の延喜年間のこと、九州阿蘇神社の神主友成(ともなり)は、都見物の途中、従者を連れて播磨国(兵庫県)の名所高砂の浦に立ち寄ります。友成が里人を待っているところに、清らかな佇まいをした、一組の老夫婦があらわれました。松の木陰を掃き清める老夫婦に友成は、高砂の松について問いかけます。二人は友成に、この松こそ高砂の松であり、遠い住吉の地にある住の江の松と合わせて「相生(あいおい)の松」と呼ばれている謂われを教えます。そして『万葉集』の昔のように今の延喜帝の治世に和歌の道が栄えていることを、それぞれ高砂、住の江の松にたとえて、賞賛しました。老翁はさらに、和歌が栄えるのは、草木をはじめ万物に歌心がこもるからだと説き、樹齢千年を保つ常緑の松は特にめでたいものであるとして、松の由緒を語ります。やがて老夫婦は、友成に、自分たちは高砂と住吉の「相生の松」の化身であると告げると、住吉での再会を約して夕波に寄せる岸辺で小船に乗り、そのまま風にまかせて、沖へと姿を消して行きました。
残された友成の一行は、老夫婦の後を追って、月の出とともに小舟を出し、高砂の浦から一路、住吉へ向かいます。住吉の岸に着くと、男体の住吉明神が姿を現しました。月下の住吉明神は、神々しく颯爽と舞い、悪魔を払いのけ、君民の長寿を寿ぎ、平安な世を祝福するのでした。
高砂は、室町以来現在に至るまで、能の代表的な祝言曲として、広く人々に親しまれてきました。能を見たことがない人でも、「高砂」の名を一度くらいは耳に入れる機会があるでしょう。たとえば婚礼の席で、この曲から取られた「高砂やこの浦舟に帆をあげて…」や「千秋楽は民を撫で…」といった謡を聴いたことがあると思います。
「高砂」では、松が作品の中で重要な役割を果たしています。松は、古来、神が宿る木とされ、常緑なところから「千歳」とも詠まれることが多く、長寿のめでたさを表します。また、雌雄の別があり、夫婦を連想させます。
世阿弥はこの能を、「古今集」仮名序の「高砂、住の江の松も、相生の様に覚え」という一節を題材として作出しました。「播州高砂、摂津の国住吉と、国を隔てて住みながらも、夫婦として暮らす老人老女」という人物設定で、長寿や老夫婦の睦まじさを称えるとともに、松の長生のめでたさを和歌の道の久しい繁栄になぞらえ、美しい詞章と、清々しい所作、舞いとで、傑出した表現を創り上げたのです。
寿ぎ、祝いといっためでたさに貫かれ、どこまでも明るく、崇高で清らかな雰囲気に満ちた、気品のある、名曲中の名曲です。素直に見て、聴いて、感じて、楽しめる能です。清めの体験を我が物にできるのではないでしょうか。
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