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ここでは、インタビュー本文でご紹介しきれなかった、福井芳秀さんのエピソードをご紹介します。 能「班女」では、扇が物語の軸になり、要のような役割を担う。「班女」に限らず、日本では古来、扇は恋の証として用いられたそうだ。扇をもらうことは、実は大変なことで……。
夏が過ぎると扇は捨てられる、という話をしましたが、「班女」には、シテの花子という遊女が、恋人と離れ離れになってしまい、秋の扇(飽きとの掛詞にもなっている)に我が身を重ねて嘆く場面があります。この「班女」自体、扇と大変縁の深い物語で、古来の使われ方を垣間見せてくれます。花子とその恋人の吉田少将は扇を交換しますよね。あれは、お約束ですよ、と示しているそうです。平安朝以来、そうであったと。最近は少し廃れているのかも知れませんが、京都あたりでは、お仲人さんが立って婚約が整いますと、やはり扇を互いに取り交わします。女性には魔除けの意味をももつ黒塗りの金銀の扇、男性には和装の礼装に使う白扇を贈ります。その源流が班女にもあるんです。 班女と少将は離れ離れになり、それと知らず再会したときに、扇を見せ合ってお互いを知るのですが、その扇の扱いには諸説があります。竹垣に菊の模様、我々は「間垣に菊」と呼びますが、それをシテ方が2本用意され、おワキにも渡されて、同じ模様で見合う場合がひとつ。一方で謡本に即すると、片方は夕顔の扇、片方は月の扇であるとされます。シテの謡に「月を隠して懐に持ちたる扇」という一節がありますが、班女の持つ扇には月が描いてあって月を隠して懐に持っているわけです。そしてワキが持っているのは夕顔の扇です。謡はそうですが、近代になると班女扇は、観世流を中心に、間垣に菊を用意して同じもので扇合わせになっています。この扇のやり取りは多分、もとは男性が女性にあげたんでしょうね。扇をいただくことは、大変なこと。そんな気もないのに、軽々しくもらってしまったら、えらいことですわ(笑)。(福井芳秀氏談)
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