諸国を行脚している遊行上人が、加賀国篠原で説法を行っていると、一人の老翁が毎日欠かさず聴聞に訪れ、上人に向かって合掌します。その老翁の姿は上人以外には見えず、上人が老翁と話している姿は、他の人々からは上人の独り言のように見え、不審に思われてしまいます。信心深い老翁に、上人は名前を尋ねますが、老翁は答えようとしません。さらに上人が問いただすと、老翁は周りの人々を遠ざけさせ、平家方の武将であった齋藤別当実盛が篠原の合戦で討たれた後に、その首が目の前にある池で洗われたことや、さらには自身がその実盛の亡霊であることを明かし、姿を消します。
上人は篠原の里人に、当時の実盛の様子などを尋ね、老翁が実盛の亡霊であったことを確信し、踊念仏で弔うことを、里人を通じて篠原の人々に伝えます。
その日の夜に、上人が池で念仏を唱えていると、実盛が、白い鬢髭、老武者の装いで上人の前に姿を現わします。木曽義仲の前に実盛の首が差し出された際、その首を洗うと鬢髭を黒くしていた墨が流れ、白い鬢髭があらわになったこと、赤地の錦の直垂を着て故郷での戦いに赴いたこと、手塚太郎光盛との最期の場面などについて語ります。最後には上人に弔いを懇願して消えていきます。
能「実盛」は、「朝長」「頼政」とともに“三修羅”、「盛久」「通盛」とともに“三盛”と呼ばれており、修羅物のなかでは演じにくい難曲とされて、未熟の能役者は勤めることができないといわれています。古くは「篠原」または「篠原実盛」とも呼ばれていました。
『平家物語』をもとに世阿弥が作ったとされますが、「実盛」創作の動機は、実際の出来事がもとになっています。実盛が討死してから約230年後の1414(応永21)年、加賀国篠原に実盛の幽霊が現われ、遊行上人から十念を授かるという不思議な出来事が都中で噂となります。これをもとに、「実盛」が創作されました。
一般的な修羅物が、はじめは人間であるかのように登場した前シテが、次第に幽霊であることが明かされるのに対して、「実盛」は、上人しか実盛を見聞きすることができない設定で、初めから観客に幽霊であるとわかるようになっています。こうした構造の「実盛」は、狂言口開で始まる点とともに、修羅物としては異例の作品となっています。
鬢髭を墨で黒く染めてまで戦場に斬り込んでいく、豪気な老武者実盛の意気とは対照的に、枯木のように力尽きていく実盛の最期は、悲哀の念を込めて描かれています。
後場ではシテの仕方を交えた長い戦語りもあり、老体の曲のわりには動きが多い能となっています。特に首を洗う型や、手塚太郎光盛との格闘の場面は難しいとされています。また、シテは、敵の手塚、木曽義仲、首を実盛と確認する樋口次郎の役を語りの中で演じ分け、こうしたシテの所作もみどころの一つとなっています。
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