延喜帝(醍醐天皇)の御代のこと。ある夏、京都・神泉苑(皇室の庭園)で、帝は夕涼みの宴を催しました。池の洲崎には白い鷺が舞い遊び、曲水の宴の盃のように見える夕月の影が、地水に映っています。帝はじめ、参加した臣下、官人たちは皆、その美景を楽しんでいました。ふと帝は、興趣を覚えられたご様子で、臣下の蔵人に鷺を捕らえるよう命じられました。蔵人は翼のある鳥だけに、どうしたらよいかわからず躊躇っていましたが、帝の御威光を頼りにして、心を定め、岩陰から忍び寄って捕えようとしました。鷺は驚いて飛び立ちましたが、蔵人が鷺に、勅諚に従うようにと語ると、元の場所へ降り、羽を垂れて地に伏し、おとなしく捕らえられました。その場の人々は帝のご威徳だと称賛し、帝も大層お喜びになって、鷺にも蔵人にも五位の爵位を授けられました。鷺は優雅にあたりを舞い飛んだ後、帝の命により、放されました。すると鷺は嬉しそうに飛び上がり、どこへともなく去っていきました。
「鷺」は曲自体は短く、ストーリーも至ってシンプルですが、登場人物も多く、大習、重習の大曲です。なお曲中の、鷺が帝から五位の位階を賜るエピソードは、五位鷺の名の由来になっているといいます。
「鷺」のシテは通常、目安として元服前の子どもか、還暦以降の老人のみが勤めることを許されています。子どもと老人に限られるのは、世俗の色の薄い、神の領域に近しいからだと言われます。シテは面をかけずに直面で舞いますが、特別に対象外の年齢の大人がシテを演じる場合は、面(延命冠者など)をかけて世俗色を払しょくしなければなりません。「鷺」ではシテの清浄な神聖さが尊ばれるのです。
鳥だけに、シテの言葉はほとんどなく、舞が主体になります。特殊な型を含む「鷺乱(さぎみだれ)」が舞われますが、飛ぶ様子や、ぬかるみを抜き足で歩く姿などを見せて、舞い遊ぶ鷺の優雅な美しさを表し、この曲の大きな見どころになっています。同じ乱(みだれ)でも「猩々乱」とは異なります。
鷺を現す鷺冠も、装束もすべて白が基調で、清浄な印象が作り出されます。「鷺」が舞われる機会はそう多くありません。チャンスがあったら、清々しく、爽快な舞台をぜひ、お見逃しなくお楽しみください。
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