春の夕暮れ時、武蔵の国隅田川の渡し場で、舟頭が最終の舟を出そうとしていると旅人が現れ、女物狂がやってくると告げました。女は都北白河に住んでいましたが、わが子が人買いにさらわれたために心が狂乱し、息子をさがしにはるばるこの地まで来たのでした。舟頭が、狂女に、舟に乗りたければ面白く狂って見せろ、と言うので、女は『伊勢物語』九段の「都鳥(みやこどり)」の古歌を引き、自分と在原業平(ありわらのなりひら)とを巧みに引き比べて、船頭ほか周囲を感心させ、舟に乗り込むことができました。
川を渡しながら、舟頭は一年前の今日、三月十五日に対岸下総(しもうさ)の川岸で亡くなった子ども、梅若丸の話を物語り、皆も一周忌の供養に加わってくれと頼みます。舟が対岸に着き、みな下船しても、狂女は降りようとせず泣いています。船頭が訳を尋ねると、先ほどの話の子は、わが子だというのです。
舟頭は狂女に同情し、手助けして梅若丸の塚に案内し、大念仏で一緒に弔うよう勧めます。夜の大念仏で、狂女が母として、鉦鼓(しょうこ)を鳴らし、念仏を唱え弔っていると、塚の内から梅若丸の亡霊が現れます。抱きしめようと近寄ると、幻は腕をすり抜け、母の悲しみは一層増すばかり。やがて東の空が白み始め、夜明けと共に亡霊の姿も消え、母は、ただ草ぼうぼうの塚で涙にむせぶのでした。
「隅田川」の母のような女性は「女物狂」と呼ばれ、「桜川」「百万」「班女」など同様な女性を主人公とする一連の作品を、「狂女物」と呼びます。
狂女物のストーリーは、子どもや夫など愛する対象と引き離された女が想いを募らせ一過性の狂気におちいるものの、相手に再会し、正気に戻るというハッピーエンドのものが多くを占めています。しかし、「隅田川」は、子どもは死んでしまっており、声・幻にまみえるだけの、まさに悲劇の「物狂能」です。
この母子の物語は、緻密な表現や演出で、とりわけ悲しみを誘います。まず都から隅田川までの距離感が、都と鄙(ひな)の対比で示されます。『伊勢物語』の東くだりを用いることで、東、そしてさらにその向こうの陸奥が、いかに遠く未開の地であるかという印象を強く与え、そこで一人寂しく死んでいった息子の哀れさ、そこまで捜し歩いた母の一念とその悲しみを一層際立たせます。
終曲の、幻に会う場面は、子方を出さず、幻を母の演技だけで表現しようとする世阿弥と、子方を出そうとする作者元雅の間で意見が分かれ、当初から二通りの演出があったといわれています。元雅は、母が思い描く在りし日の凛々しいわが子の姿と、死装束にみだれ髪で、まさに成仏できずにさまよう亡霊の子方の姿を対比させることで、親子の悲劇の完成を図ったとも伝えられます。
この、あまりにも悲しい物語は、人々の心を捉え続け、その後歌舞伎や浄瑠璃にも取り入れられています。
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