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能を支える人びと

能面師 髙津紘一

→ 第1部 修行のあゆみ
→ 第2部 能面への思い
→ 第3部 能面工房にて

能面師 髙津紘一
撮影:森田拾史郎

第2部 能面への思い

面にかける思いの深さに触れて

能の奥のすごさは、はかり知れない

──面に対する思いは、ひとかたならぬものがあるかと思いますが、いかがでしょう。

髙津 面を打つことについては、「進んできた道を、やり通す」という思いを、強く持っていますね。一方で能に対する思いは、また違うところがある。感動する能を今まで何番も観てきましたが、型のきれいさとかではなく、演者が能の本質を分かり、演じる人物の雰囲気をもって、たとえば亡霊なら亡霊として出てくる、その演じ方にハッとします。本人の舞としてではなく、別世界のものが見えてくるんですよ。そういうときに、能の奥の、はかり知れないすごさを改めて感じます。

能面もまた、たとえば「小面(こおもて)」が5つあると、そのすべてが、作り手なり演者なりによって表情が変わる繊細さがあります。丹念に見れば見るほど、様式的で同じに見えることがらも、表面的ではない、奥の深さ、すごさを感じ取れると思うんです。

能面は「内なる心の像」である

──今振り返って、能面とはどういうものだと考えていますか。

髙津 ずっと能面を作ってきて思うことは、能面は「内なる心の像」だということですね。僕は能面に出会ったときに、能面とは一体全体何なんだという、とらえどころのない不思議な思いを抱きました。そこからこう能面に向き合ってきて、「そうか、能面は人の心を造形していくものなんだ」と、直観的に感じるようになりました。仏像も「仏の像」と書きますが、像とは「現れ出ずる」もの、すなわち仏が、こちらに現れて出てきたものですね。能面も同じように、具体的な人間の顔というより、人の心がかたちになって現われたものだと思うんです。それが、能の抽象的な表現で生かされている。

──だからこそ亡霊の役に使われても、違和感なく見えるのかもしれませんね。

先人のイメージを作る力に圧倒される

増女
増女(撮影:森田拾史郎)
 
やせ女
やせ女(撮影:森田拾史郎)

髙津 能面のイメージは、どちらかと言えば、先人のイメージを引き継ぐことなんです。僕が、自分なりのイメージで作ったら、継承するかたちを離れ、もう能面じゃなくなっちゃうんですね。たとえば僕が、自分だけのイメージで小野小町の面を作ったとすると、能で使われる面とは、全然違うものができるはずですよ。依頼された創作面なら話は別ですが、能面としての評価はいただけないでしょう。創作面がうまくはまれば新たな能面の誕生になるでしょうが、なかなか難しい。先人のイメージを作る能力のすごさには、圧倒されます。造形をイメージして作り上げ、残していく。今の能面師には、それはない。本当は、独自のイメージから作ってみたいんですが、果たして理解してもらえるのか。難しいことです。

本当の「写し」は、魂を打ち込むことにある

──能面は、基本的に「写し」ですよね。

髙津 その「写し」も実はまた、一筋縄ではいかないんですよ。「写し」を、そっくりコピーするのと同じに考えている人もいます。でも手作業では、コピーは絶対できないはずです。そうではなく、オリジナルの持ち味の心を、表現していこうとする意欲のほうが強い。かたちを守りつつも、微妙に、わずかな部分で自分なりの工夫してみたりします。

「写す」ことにとらわれると、「目の幅がいくつだった」とか、「目の切れはどうだ」とか、細かい寸法にばかり神経が注がれてしまう。すると面に向かって、打ち上げる気持ちが遠のいてしまいます。型紙を使うと便利ですが、自分の意思じゃなく、型紙に左右されて作っても、いいものになるのかどうか。「面を打つ」という言葉があるように、心を打つ、打ち込むんですよ。

──「心を打つ」ですか。

髙津 生意気な話で恐縮ですが、今、能面を制作する人たちのなかには、写真や周辺資料を見て「打った」と言う人もいる。僕は、「写した」というのは、オリジナルを手元に置いて、丹念に観察しながら、「写す」ことだと思うんです。「写真を見て写した」というのは、本人がそう思っているだけで、もう「写し」ではない。

──似て非なるもの、ですか。

髙津 そうなんですよ。単なる楽しみの工作なんです、それは。本来「打つ」というのは、自分の魂、心を作品に打ち込むことです。かと言って、僕自身が十分に、「打てて」いるのかは疑問ですけれども。一途に長くやってきた結果が、自分の作品に止まっているだけのことで、まだまだこれじゃ駄目だなあとは思っています。

「鼻」が決まればすべてが決まる

石王尉
石王尉(撮影:森田拾史郎)
 
大飛出
大飛出(撮影:森田拾史郎)

──具体的なところで、能面を打つときに大切なことは何でしょうか。

髙津 一番重要なのは、鼻の位置です。鼻をどこにセッティングするか。鼻を中心に、目や口の位置が決まってくる。鼻の位置がわずかでも上に狂うと、目も高くなって、いびつになる。そこから浮かび上がる額の広さにも影響します。逆に鼻の位置が低くなると、顎が短くなったりする。「中将(ちゅうじょう)」のように、額が普通の面より短いものもありますね。ああいう面ほど、間違えたらとんでもないものになってしまいます。

面の裏に表情がある

──鼻の位置が第一のポイントだとして、そのほかに注目すべき点は何でしょう。

髙津 よくよく分かって作らなくちゃいけないのは、「裏」です。能面は「裏」が良くできていないとだめ。つけた時に、道具としてどうフィットするか、目線はどうか、といったところに配慮した「裏」にしなければなりません。面をつけると演者は、鼻の穴から目線を下にすっと落として、見るわけですよ。鼻の穴の開け方ひとつが悪く、下をよく見られなければ、形としては開いていても、道具にならない。到底、面を分かった人の打つものじゃない。いくら表情が良く見えても、「裏」でわかるんですよ、制作者の歴史が。もう一目了然です。人間に大切なのは、「裏側の心」。良い裏は、表に通じますから。

──能に使えるか、使えないかが裏でわかるとは面白いですね。

髙津 人の顔には輪郭があり、人それぞれで違います。面をつけるとき、輪郭の違いを調整するものに綿などを使った「面当て」があります。でも良い面は、あえて面当てを使わなくても、どんな人にも自然にスパっとはまるような感じがあるんです。

僕が一番勉強したのは、裏ですね。つける人に集中心を増してもらえるように、その面のもつ意義を表すような作り方も取り入れます。

──勉強すればするほど、奥がまたふえていくわけですか。

髙津 たとえば、鬼畜的な面を作るときは、荒々しくしたり、女面は柔らかく作ったり。作る側の考え方で違ってくる。といってガンガン荒くやればいいっていうものじゃなくて、刃の方向性をうまく考えて、面の裏にも表情があるように作っていくわけです。

「離見の見」で見えてくるものもある

泥眼
泥眼(撮影:森田拾史郎)
 
平太
平太(撮影:森田拾史郎)

──面を打つときの、特別な心構えはありますか?

髙津 僕は、能面を打つ仕事を、そんなに重く考えていないんですよ。一般の人から見ると、特殊な仕事ですから、特別の精神で、朝からピタッと座って打ち込むんじゃないかと、思われがちですけれどもね。日常的にいろんなことをやっているときに、考える余地を持ち、次は何をしようかと思い描いています。いったん取り掛かると一日中座ります。

僕は、仕事に入るのが遅く、10時ごろ作業場に降りて始めるんですが、もう納得するまでやっちゃうんです。遅い時は夜の9時、10時まで。それは疲れるでしょう、といわれますが、入り込んでいますから、途中で「今日はここまで」と終えるものでもないんです。でも一仕事を終えて、翌日また降りてみると「何だ、昨日あんなに時間をかけて、こんなことをやっていたのか」と反省することもあります。何十年もやってきても、自分の作品の出来具合をうまくコントロールできないですね。精神状態で違ってきます。

──その時その時、勝負していく感じですか。

髙津 そうですね。また、世阿弥も「離見の見」を説いていますが、客観的に自分のものを見る視点も必要です。意外に一生懸命やっているときは、余裕がないこともある。ただ入っているだけでは、どこか見失っているところもあったりする。翌日、見ると一発で気付くんですよ。それが不思議です。

時代精神の違いを感じつつ、後の世めがけて打つ

──これから目指すことは何でしょうか。

髙津 先人たちが作ってきた能面を目の当たりにしますが、いいものはずっと使用に耐え、残っていく。自分は一体何をやってきたのか、自分に問いかけますが、今ではなく、後の人に評価される、そうして形をつないでいく、それがいいんじゃないかと思うんです。がんばって作ることに集中して、後に継承される面が、1点でも2点でも出てくればいい。自然にそう思いますね。

100年後、またそれ以降の人がどういう感覚で、ものを見るのか。その見方の違いが、時代の相違です。能面も、江戸初期の面と、今我々が作るものとは大きな相違がある。同じ名前の面でも精神性が全然違いますよ。情報が発達した暮らしの中で面を作る姿と、ろうそく一本の灯を頼りに、もくもくと面を打つ姿。今は、電気をつければ明るくて、いくらでも作業できます。一方、先人は一歩外に出れば闇が待っている。その、時代ごとに生きる人の精神性が、能面に入り込んで表現されているんです。

──継承される面なのに、そういうものが入ってくるんですか。

髙津 何十年も見てきて、昔の面の表現の豊かさは、今と全然違うなと感じます。そうしようと思っても、無理ですね。時代背景がまるっきり違いますから。僕はただ、今の時代背景の中で、職業として真剣に格闘して、ものづくりに励む以外にないですね。

僕の20歳代の頃、観る人が少なくても、能面と一体となった見事な芸を演じる能楽師たちがいました。少ない観客もレベルが高くて、お互いに格闘し合うように、ひとつの素晴らしい舞台世界を作り出していました。そこで僕は、真剣勝負で生きていくことを、学ぶことができたと思っています。Next



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