唐の天狗、是界坊(善界坊/是我意坊)は、中国全土で慢心する者をすべて、天狗道に引きずり込んだと自負し、さらに版図を広げようと、日本にやってきます。愛宕山の天狗、太郎坊を訪ねた是界坊は、仏教の盛んな神国の日本で、仏法を妨げ、天狗の勢力をのばそうという自分のたくらみを語りました。太郎坊は賛同し、比叡山をねらうことを勧めます。是界坊は、顕教、密教を兼学する比叡山の仏法の充実ぶりにためらう様子を見せ、特に不動明王に恐れを表しますが、太郎坊がますます後押しし、自分が案内しようというので力を得て、一緒に雲に乗って比叡山へ向かいました。
比叡山では、飯室の僧正が、都で天狗由来と思われる変事があるため祈願に来てほしいとの勅命を受けて、出立しようとしていました。その先駆けとして、能力が巻数※を携えて都へ向かって進んでいると、大風が吹いてきたため、天狗の仕業と恐れをなして、戻ります。
その後、飯室の僧正は、比叡山を下りて、都へ近づいていましたが、途中で雷雨に見舞われます。是界坊が現れ、行く手を阻もうとしたのです。雲の中から、邪法の呪いの声が聞こえてきますが、僧正は落ち着いて不動明王に祈願しました。すると、不動明王が仏法を守護する神々を引き連れて現れ、悪魔降伏の力を発揮します。さらに日本の神々も来臨して風を吹かせたため、是界坊の飛行の技も破られ、地に落ちて力尽きます。是界坊は姿をくらまし、もう絶対にくることはないと言い残して、雲の中に逃げていきました。
※巻数(かんじゅ/かんず):僧が祈祷や追善の際に、読誦した経典や陀羅尼の題目、巻の数、何度読んだかなどを記した目録。
魔界の実力者である天狗も、仏法の力には対抗できないという内容で、仏法の有難さを伝える話になっています。単純な勧善懲悪にみえ、みどころとしては特に、後半の是界坊とワキ僧の戦いが焦点になりますが、より深く楽しむために、天狗の背景や性質を少し、掘り下げてみましょう。
現在、一般的な天狗の姿は「鼻高」「赤い顔」「有翼」「山伏姿」「羽団扇」「高下駄」で示されますが、古代日本では流星(隕石)でした。もともと古代中国で凶兆を示す流星を「天狗(てんこう)」と呼び、それが入ってきたか、定かではありませんが、『日本書紀』に、大きな音を出して落ちた流星を、中国帰りの僧が「天狗」、和名で「アマツキツネ」と呼んだ、と記されています。その後、歴史から消えた天狗は、平安時代末期、突如として説話や史書に頻繁に登場します。能「是界」のもとになった、是害坊という唐の天狗が比叡山の僧に挑み、逆にやり込められて逃げ帰る話も『今昔物語』に出てきます。当時の天狗はすでに流星ではなく、飛行する半鳥半人の姿でした。また山伏の要素も、この頃には取り込まれていました。山野を駆け巡り、超人的な能力を持つ山伏が、飛行する魔界の天狗のイメージと重なったのでしょう。天狗の山伏姿は定着し、能でも「是界」のみならず、「鞍馬天狗」「車僧」など天狗の出る能では皆、まずは山伏姿で現れます。
また天狗は、非常に高度な神通力を持ち、人間からは畏怖される者ですが、極めて高慢な性質を持っています。得意げに自慢することを「天狗になる」といいますが、まさにその性質が特徴的で、能「是界」でも慢心の者を天狗道に引きずり込んだ、と是界坊が自慢する場面が出てきます。
このほか、いつごろから鼻高天狗になったのかなど、天狗という不可思議な魔物について、興味は尽きません。
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