九州の芦屋某が訴訟のために上京してからしばらく経ち、国元の妻は夫の帰国を待ちわびています。離れ離れになってから三年目の秋、侍女の夕霧が一人だけ帰郷してきました。妻は夫の無情を嘆きますが、せめてもの慰みにと、里人の打つ砧※を取り寄せて打ち、砧の音がわが思いをのせて都の夫のもとへ通じるようにと祈るのでした。
しかし、今年も帰国できないという知らせを聞いて、妻は病となり、つい に命を落とします。
帰国した夫がそれを知って弔うと、妻の亡霊がやつれ果てた姿で現われます。妻は、恋慕の執心にかられたまま死んだために、地獄に落ちていたのですが、いまだに夫が忘れられず、恋と怨みの同居するやるせなさを夫に訴え、そのつれなさを責めますが、夫の読経の功徳で成仏します。
※布地を打ちやわらげ、艶を出すのに用いる木槌。また、その木や石の台。その木槌で打つことや、打つ音にもいう。
本作は、作者の世阿弥自身が「後世の人はこの能の味わいがわからないだろう」と述べたほどの自信作です。中年の女の独り寝の焦燥、愛の悲しみ、忘却への怨み、そうした生々しい人間的な苦悩を詩情豊かに描いています。
女の生きながらの怨みが現われる前場では、「砧ノ段」が山場であり、打つ砧に怨みを託しながらも、夫の帰郷に望みを抱いていることもあり、月に 興じたり、夫に愛着を感じてもいます。しかし後場では、絶望しきった妻の亡霊が現われて夫の不実を責め立て、観る者に妻の執心が押し迫ります。
『古今和歌集』や『新撰朗詠集』、『和漢朗詠集』などからの引用もなされ、作品世界に奥行きを与えています。特に『漢書』の、妻子が情を込めて打った砧の音が遠方の夫に届くという有名な蘇武の故事は、寂しく砧を打つ芦屋の某の妻と対比的に描かれ、その哀しみがより際立ったかたちで現われてきます。
流儀それぞれの演出意図により、謡の細部や、砧の作り物、その出し入れと設置場所などに違いがあります。
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