京都、栂尾に庵を結ぶ明恵上人は、入唐渡天(中国、インドに渡り、仏跡を巡ること)を志し、暇乞いのため、奈良の春日大社に参詣します。春日大社で、明恵は一人の神官と思われる老人に出逢います。明恵は老人と言葉を交わし、このたびの参詣が、入唐渡天のための暇乞いであることを明かします。すると老人は明恵に、日本を去ることは神慮に背くことになると言い、引き止めました。明恵が仏跡を拝むためだから、神慮に背くはずがないと反論しますが、老人はさらに引き止めました。今や仏も入滅されて時が経ち、天竺や唐に行くのも御利益があまりないことで、今や春日山が霊鷲山と見なされ、天台山を擬した比叡山があり、五台山になぞらえられる吉野金峰山もある、というように日本に仏跡と見なされる場所がたくさんあって、仏教も広まっている、と他国に行く必要のないことを強調します。ここまで言われて、明恵も心を改め、これを神託と受け止めて、入唐渡天を思いとどまりました。老人は、入唐渡天をやめるならば、三笠山に天竺を移して摩耶(釈迦の母)のもとでの誕生から仏陀伽耶での成道、霊鷲山での説法、沙羅双樹の林での入滅まで、釈尊の一生を見せようと告げ、神託を授けに来た時風秀行という者だと言って消えていきました。
神託の霊験はあらたかであり、早くも光が射し、春日野の野山は。あたり一面、金色の輝く世界となりました。草も木も仏に変わる不思議な光景が現れたのです。そこに龍神が姿を見せました。釈尊の説法を聞こうとやってきた八大龍王が、眷属を引き連れて法華の会座に座りました。そのほか多くの神々も現れ、同じく会座に座りました。やがて龍女が舞を舞い、三笠山では釈尊の一生が映じられ、明恵も入唐渡天をすっかり思いとどまりました。どれだけ尋ねようとも、この上はないと、そう言って龍女が南へ去ると、龍神は猿沢池に飛び入り、消え去りました。
「春日龍神」を楽しむには、ワキとして出てくる明恵上人のことを少しでも知っておくとよいでしょう。明恵は鎌倉時代の僧で、修行に励み仏道を追究する一生を送りました。十代の頃から六十歳で死ぬまで、したため続けた夢日記が有名です。彼は知識も人柄も知恵もすぐれた清廉な人物で、世俗におもねることなく、慈悲の心をもって人々に接し、多くの人々から尊崇されました。承久の乱(1221年)では、敗者の武士たちを匿うなど、権力者にも臆さない行動力を示しました。明恵は一般には華厳宗の中興の祖と目されています。その生涯や人となりを知るには、さまざまな書物が出ていますので、ご参考になさってください。(河合隼雄「明恵 夢を生きる」、白洲正子「明恵上人」ほか)
「春日龍神」は、物語そのものは、明恵が海外に行くのを神が引き止めるという、非常にシンプルなストーリーで、大して起伏はありません。ですが、彼のような国の宝ともいうべき人物の、海外流出を防ぎたいという強い思いのこもった曲です。曲の中で、春日明神は仏の示現であるとされ、それゆえ明恵も神託を受け入れて、海外へ行くのを思いとどまります。どこか別の場所に道を求めるのではなく、今、自分のいる場所で道を求めることの大切さを教えるようなところもあり、よく味わうほどに、人の生き方について考えさせられる曲です。
曲の中での面白い場面を挙げますと、やはり、八大龍王の現れる後半部分でしょうか。龍王の名前が紹介され、威容を示す姿も見せて、簡素な曲想に、観て楽しめる要素を織り込んでいます。
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