観世流の演目「菊慈童」は、他流では「枕慈童(まくらじどう)」と呼ばれています。なお、観世流にある「枕慈童」は、また別の類似曲になります。
中国、魏の文帝の治世に、酈縣山(れっけんざん/てっけんざん)の麓から霊水が湧き出たため、その源流を探るべく、勅使一行が派遣されました。勅使は山中に一軒の庵を見つけます。周辺を散策して様子を窺っていると、庵から、一人の風変わりな少年が現れました。勅使が怪しみ名を尋ねると、少年は、自分は慈童という者で、周の穆王(ぼくおう)に仕えたと教えます。周の穆王と言えば、七百年もの昔の時代です。勅使がますます怪しんで、化け物だろうと問い詰めると、慈童は、皇帝より直筆の二句(四句)の偈(経典の言葉)が入った枕を賜ったと言い、それを証拠として見せました。勅使もその有難さに感銘を受け、二人でその言葉を唱え味わうのでした。慈童は、自分が二句(四句)の偈を菊の葉に写したところ、そこに結ぶ露が不老不死の霊水となり、それを飲み続けたから七百歳にもなったのだと語り、喜びの楽を舞います。慈童は、その露の滴りが谷に淵を作り、霊水が湧いていると述べ、勅使らとともに霊水を酒として酌み交わします。そして帝に長寿を捧げ、末永い繁栄を祈念して、慈童は山中の仙家に帰っていきました。
この曲は、中国を舞台にした唐物の曲の一つで、慈童という不思議な人物が主人公です。慈童の伝説を『太平記』はこう伝えています。
“……慈童は古代中国、周の穆王に仕えた童子だった。ある時、皇帝の枕をまたぐ過ちを犯し、死刑は免れたが流罪に処され、酈縣山に捨てられた。穆王は慈童を憐れみ、密かに法華経の二句の偈を書いた枕を託し、毎朝、偈を唱えて礼拝するように教導した。慈童が忘れないように菊の葉に偈を写すと、葉の露が霊薬となり、飲んだ慈童は仙人となって八百余年も不老長寿を保った。慈童は魏の文帝の時代に彭祖(ほうそ)と名を改め、長寿の術を帝に伝え、菊の盃を受け継いだ帝は万年の長寿を祝った。これが今の重陽の宴である。……”
能では、魏の文帝の勅使が、人跡未踏の深い山中で少年姿の慈童に出会う、幻想的な情景の中で、物語が進行します。小品ではありますが、心の洗われるような、めでたく清涼な趣のある曲です。観る者は一時、憂き世を離れ、夢のような異郷世界に遊ぶ心地を得られるでしょう。
観世流では「菊慈童」と言います。同流儀には「枕慈童」もありますが、別の類似曲です。また金剛流には「彭祖」という類似曲があります。
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