源平の合戦に勝利した源氏方の武将、佐々木盛綱は、備前国児島にある藤戸の合戦(寿永三年/元暦元年:1184年)で、馬で海を渡る快挙を成し遂げ、先陣の功を挙げました。それにより、児島を領地に賜りました。春の吉日に、盛綱は初めて領地入りしました。すると一人の老婆が現れ、我が子を殺したと名指しで、盛綱を咎めます。初めは、知らぬ存ぜぬを通していた盛綱も、再三の老婆の追及とその哀れな様子に心を動かされ、とうとう告白します。源氏が戦陣を構えた藤戸は、平家の陣地と海で隔てられ、戦況は膠着していました。盛綱は地元に住む若い漁師から、馬で渡れる浅瀬ができる場所と日時を聞き出します。このことを、平家方はもちろん、味方にも知られたくなかった盛綱は、他言を恐れて漁師を殺し、海に沈めてしまったのです。この話を聞いた老婆は、半狂乱となり、自分も殺せと転げまわり、我が子を返せと盛綱に迫ります。盛綱は老婆をなだめ、漁師を回向することを約束し、家に帰らせました。
盛綱が、藤戸の海辺で管弦講(かげんこう)を催し、般若経を読誦して漁師を弔っていると、漁師の亡霊が海上に姿を現します。亡霊は、無惨にも殺された恨みを語り伝えに来たと言い、刺し通されて海に沈められた惨劇を見せるのでした。亡霊は、悪龍の水神と化して、恨みを晴らそうとしていたのですが、意外にも回向を賜ったことに感謝し、彼岸に至って成仏の身となりました。
戦場では何でも許されるのか。武将の勲功のために殺害された、庶民である漁師の悲哀が、親子の情愛の深さとともに描き出された名曲です。いつの世も、戦争では、望むと望まざるとに関わらず、民間人も巻き込まれて、多くの悲劇が生まれます。「藤戸」はそういった伝説の一つに材を取り、華々しい戦勝の記録の裏にも、理不尽な出来事があり、罪なき者が犠牲になることを伝えています。子を喪った母の哀れな姿は、私たちの身近なところで見られるかも知れません。漁師親子の悲哀は、遠い歴史上のことではなく、舞台上で、今まさに起きていることのように再現され、観る者に、忘れ難い印象を刻みます。
漁師の亡霊は最後にすぐ成仏しますが、昔の権力者の力を思えば、その不自然にも見えるあっさりした姿こそが、亡霊の言い難い無念を表してもいるように思われます。また一方で、遺族にとって大切な、救いがあるとも言えます。同じ話からさまざまに思いを巡らすことのできる、深みのあるこの能から、あなたは何を感じるでしょうか。
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