高野山の僧の一行が、都へ上る途上、摂津国阿倍野(山城国鳥羽とも)付近に差し掛かりました。そこで僧は、乞食の老婆が、朽木の卒都婆※に腰掛けているのに気づきます。この老婆は、実は、かつて絶世の美女で、数多くの浮名を流した有名な歌人、小野小町その人でした。僧は、老婆が仏を粗末に扱っていると断じ、その振る舞いを正して卒都婆から立ち退かせようと、説教を始めます。すると老婆は、非常に含蓄のある言葉を返し、言い負かしてしまいます。老婆をただ者ではない、と感じ取った僧は、老婆に対して深々と礼を尽くしました。
老婆は、自信満々に歌を詠み、さらに僧を感心させます。僧が老婆に名を尋ねると、老婆は「小野小町のなれの果てだ」と明かしました。小町は、美貌を誇った往時を懐かしみ、翻って老いを深めた今の境遇を嘆く様子を見せた後、狂乱状態となってしまいます。このとき、小町には、かつて自分を恋慕した深草少将の怨霊が憑りついていました。その昔、深草少将(四位の少将)は、小町に恋心を打ち明けたのですが、小町は百夜私のもとに通ってきたら、あなたの恋を受け入れましょうと言い、毎日通わせました。深草少将は九十九夜まで通いましたが、最後の一夜を通う前に死んでしまいました。恋を成就できなかった深草少将の怨念が残り、老境の小町を苦しめていたのです。小町は、狂乱の内に深草少将の百夜通いの様子を再現しますが、やがて狂いから醒めて、後世の成仏を願うことが本来の人の道であると語り、悟りの道に入ろうと志します。
※卒都婆(卒塔婆):サンスクリット語でストゥーパ。もとは釈迦の遺骨を納めた聖なる塚のこと。仏教の広まった各地で、これをかたどった塔(同じく卒都婆と呼称)が作られるようになり、仏の体を表すものとして、礼拝の対象となる。後に墓標、死者を供養する塔としても用いられるようになる。また高野山など、聖地への道しるべとしても建てられ、この曲の卒都婆はこちらを指すとみられる。
この曲は、老女物というカテゴリーに入れられる五曲(「関寺小町」「檜垣」「姨捨」「鸚鵡小町」「卒都婆小町」)の一つです。能のなかで、老女物といえば、別格の難しい曲です。いずれも、生けるものすべてに訪れる「老い」をテーマに、人生の根幹を考えさせるような物語が組み立てられ、哲学的、宗教的な深い内容を含んでいます。
静かな進行の多い老女物のなかで、「卒都婆小町」は変化に富み、能をさほど鑑賞していない人でも、観やすいものとなっています。
見どころはたくさんあります。まず前半部分の焦点になる、僧との問答が秀逸です。敬うべき卒都婆に座る小町を見とがめて、教え諭そうとする僧に対し、仏の慈悲はそんな浅いものではないぞ、と逆に説き伏せてしまいます。歳を重ねて、叡智を宿した老女の姿が、観る人に印象深く刻まれます。続いて、小町の若かりし頃の比類のない美と、老いさらばえた今の境遇が、巧みな詞章の展開により対比され、生きるものの悲哀がくっきりと描き出されます。そしてまた、場面は大きく変わり、小町は狂乱します。過去に自分を愛した深草少将を翻弄したことへの、報いの表れなのですが、因果の苦しみよりも、恨むほどに深く愛された記憶を、小町が懐かしむようにも見えます。少将の姿となった小町が、過去を再現する情景は、非常に趣深いものがあります。
仏教の深い哲理も解かれていますが、それよりも物語としてシンプルに面白く、「老い」という重いテーマを抱えながらも、観た後に、ある種の爽快感を感じる能です。
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