時の帝に仕える臣下が、大和国吉野から、都の西方の嵐山に移植した桜の様子を見てくるようにという勅命を受けます。勅使として嵐山に着いた臣下は、美しく咲き誇る桜を目の当たりにします。
勅使は、そこで花守の老人夫婦に出会います。木の下を清め、花に向かって礼拝する姿を不審に思い、勅使はなぜかと問いただしました。すると老人夫婦は、神木である吉野の桜を移植したのだから、嵐山の桜も神木である、だから礼拝している、と答えます。さらに、吉野の木守(こもり)の神、勝手(かつて)の神が時折訪れる、その神の力により、嵐山というものものしい名を持つこの地でも、風で花が散らされることなく、美しく咲くのだと語ります。そして夫婦は自分たちこそが、その二神であると明かし、夜を待てと勅使に告げ、雲に乗って西の山から南のほうへと飛んで行きました。
夜になると木守の神、勝手の神が勅使の眼前に現れ、舞を舞います。勅使が感動して見入っていると、南方から芳しい風が吹き、めでたいかたちの雲がたなびき、金色の輝きに満たされて、蔵王権現※が力強い姿を現します。蔵王権現は、衆生とともに交わりつつ、その苦しみを助け、悪魔を退けて、国土を守る誓いを立てていることを表します。そして木守の神、勝手の神は蔵王権現と一体であり、呼び名が違うだけであることを示した後、嵐山によじのぼって、花に戯れ、梢を駆けて、光り輝く春の盛りを寿ぐのでした。
※蔵王権現:吉野山中の金峰山寺の本尊。日本独自の仏。
満開の桜に華やぐ京都・嵐山を舞台とした、春の能です。古来、日本人は、桜とその景色を非常に大切にしてきました。桜をテーマにした能は、たくさんありますが、「嵐山」は日本人が抱いてきた、「桜の木には神々が宿る」という自然な思いを、まさに体現した能です。
そして、嵐山には、嵐という花を吹き散らす言葉が含まれているのですが、「嵐」の名に象徴される多くの困難や悪にも負けずに、平和で美しい世界が続いてほしいと願い、祈る人々の心の深さを表した能だともいえます。
物語そのものは脇能らしく、至ってシンプルですが、神々しく清らかに、そして美しく開かれていく桜の世界をじっくりと味わえるでしょう。
また中入りの間狂言には、「猿聟(さるむこ)」という小書(特殊演出)がつく場合があります。これは、猿の格好をした大勢の狂言方の役者が登場し、吉野の猿が嵐山の猿のところに聟入りするという趣向で、めでたい酒宴を繰り広げるというものです。一部を除いて、会話は「キャキャキャキャ」「キャッキャッ」「キャアキャア」などの猿語で行われます。とてもユニークで楽しい演出ですから、ぜひご覧頂きたいと思います。狂言の会などで「猿聟」だけで演じられる場合もあります。
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