源平の戦が、源氏方の勝利で終わった後のことです。平家方の武将で、勇名を馳せた悪七兵衛景清(あくしちびょうえかげきよ)は、盲目となり、日向国へ流されていました。景清はかつて、尾張国熱田の遊女との間に一人娘、人丸をもうけました。彼女は鎌倉に住んでいたのですが、風の便りに景清が存命していることを知り、お供と共に日向国宮崎へ景清を訪ねます。
ちょうど景清が、落魄した身の上を嘆いているところに、人丸たちがやってきます。従者は「景清を知りませんか」と声をかけますが、景清は悟られまいと、盲目でそんな人は見たこともありませんと他人のふりを押し通します。
人丸はその後、里人に事情を聞き、彼の仲介でようやく対面することができました。そして景清は、人丸の求めに応じ、八島の合戦の様子を聞かせました。源氏方の三保谷四郎(みおのやのしろう)と錏(しころ)*を引っぱって応戦した名勝負の場面です。語り終えた景清は、もう長くは生きられないだろうからと、人丸に帰って自分の跡を弔うように頼み、親子は別れていきました。
*錏(しころ):兜に密着して垂らされた首を保護するもの
悪七兵衛景清の「悪」とは、悪いという意味ではなく、強いという意味を表しています。平家一門の中でもひときわ勇猛な武将として知られていました。そんな名将が敗者となって落ちぶれてしまう人生の悲哀、そして離れ離れだった景清の子が、親に会いたい一心で遠路かまわず駆けつける人間の情愛の深さなどを、静かに描く名作です。高いレベルの表現力を要求される、非常に難しい大曲の一つでもあります。
シテが、藁屋のなかで「松門独(しょうもんひとり)閉ぢて…」と謡い出すところは、「松門の謡」と呼ばれる特別な節のある大変難しいところで、観客が味わい深く聴ける「聴きどころ」です。
景清の人物描写や曲の趣は流儀によって解釈がさまざまです。過去を捨てて、すっかり落ちぶれてしまった人物として描く流儀もあれば、どこかまだ侍らしい気概のあることを醸し出すようにする流儀もあります。「景清」では専用面の「景清」が使われますが、流儀によってこれも違ってきます。
人生の深みを重厚に描き出す名曲を、じっくり味わってほしいと思います。
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