昔、中国の蜀という国に、盧生(ろせい)という男が住んでいました。彼は、日々ただ漠然と暮らしていたのですが、あるとき、楚の国の羊飛山に偉いお坊さんがいると聞き、どう生きるべきか尋ねてみようと思い立ち、旅に出ます。羊飛山への道すがら、盧生は邯鄲という町で宿を取りました。その宿で、女主人に勧められて、粟のご飯が炊けるまでの間、「邯鄲の枕」という不思議な枕で一眠りすることにしました。邯鄲の枕は以前、女主人がある仙術使いから貰ったもので、未来について悟りを得られるといういわくつきの枕でした。
さて、盧生が寝ていると、誰かが呼びに来ました。それは楚の国の皇帝の勅使で、盧生に帝位を譲るために遣わされたと言うのです。盧生は思いがけない申し出に不審がりながらも、玉の輿に乗り、宮殿へ行きました。その宮殿の様子と言ったら、壮大で豪華絢爛、驚くほど素晴らしく、極楽か天宮かと思われるほどでした。
盧生が皇帝になって栄華をほしいままにし、五十年が過ぎました。宮殿では、在位五十年の祝宴が催されます。寿命を長らえる酒が献上され、舞人が祝賀の舞を舞うと、盧生も興に乗り、みずから舞い始めました。すると昼夜、春夏秋冬が目まぐるしく移り変わる様子が眼前に展開され、盧生が面白く楽しんでいると、やがて途切れ途切れになり、一切が消え失せます。気づけば宿の女主人が、粟ご飯が炊けたと起こしに来ていて、盧生は目覚めます。皇帝在位五十年は夢の中の出来事だったのです。
五十年の栄華も一睡の夢であり、粟ご飯が炊ける間の一炊の夢でした。盧生はそこでこの世はすべて夢のようにはかないものだという悟りを得ます。そしてこの邯鄲の枕こそ、自分の求めていた人生の師であったと感謝して、望みをかなえて帰途につくのでした。
緻密で円滑な物語の構成、舞台上での場面転換の巧妙さ、演者の存在感を際立たせる配役、目を楽しませる舞、ノリ良く、緩急の表現力に富んだ謡と囃子、そして観客をあっと驚かせる仕掛け……どれを取ってもハイレベルで、能の面白さを凝縮したような名作です。
また「一炊の夢」「邯鄲の枕」という格言のもとをなす中国の故事に材を取った、一曲のテーマの深さも目を離せません。主人公の盧生は、はっきりしませんが、若すぎず、年寄りすぎず、人生経験半ばくらいの人物と思われます。自分探しの旅に出た盧生が、その途上で見た夢を通じて、私たちは人生の底流にある、深い哲学的な真実に気づかされます。没頭して見終えた後、何か清々しさを感じます。そう、腑に落ちない何かが、ストンとあるべきところに収まリ、解消したような。
使われる面は「邯鄲男」。若い男神のシテなどでも用いられるポピュラーな面ですが、本家本元の邯鄲で眼にすると、感慨もひとしおです。
見どころはたくさんあり、なかでも後半に迎えるクライマックスは、息をもつかせぬシーンの連続です。あまり多くを語ると、初見の面白さが薄れるかもしれませんので、このくらいに留めましょう。頻繁に演じられる人気曲ですから、観られる機会も多いと思います。あとはじっくり、ご覧になってください。
演目STORY PAPERの著作権はthe能ドットコムが保有しています。個人として使用することは問題ありませんが、プリントした演目STORY PAPERを無断で配布したり、出版することは著作権法によって禁止されています。詳しいことはクレジットおよび免責事項のページをご確認ください。