延喜帝(醍醐天皇:885年〜930年)の第四皇子、蝉丸の宮は、生まれつき盲目でした。あるとき廷臣の清貫(きよつら)は、蝉丸を逢坂山に捨てよ、という勅命のもと、蝉丸を逢坂山に連れて行きます。嘆く清貫に、蝉丸は後世を思う帝の叡慮だと諭します。清貫は、その場で蝉丸の髪を剃って出家の身とし、蓑、笠、杖を渡し、別れます。蝉丸は、琵琶を胸に抱いて涙のうちに伏し転ぶのでした。蝉丸の様子を見にきた博雅の三位は、あまりに痛々しいことから、雨露をしのげるように藁屋をしつらえて、蝉丸を招じ入れます。
一方、延喜帝の第三の御子、逆髪は、皇女に生まれながら、逆さまに生い立つ髪を持ち、狂人となって、辺地をさ迷う身となっていました。都を出て逢坂山に着いた逆髪は、藁屋よりもれ聞こえる琵琶の音を耳に止め、弟の蝉丸がいるのに気づき、声をかけます。ふたりは互いに手と手を取り、わびしい境遇を語り合うのでした。
しかし、いつまでもそうしてはいられず、逆髪は暇を告げ、ふたりは涙ながらに、お互いを思いやりながら、別れます。
天皇の子という高貴な身分に生まれながら、華やかな暮らしを享受できず、厳しい境涯に身を置く蝉丸と逆髪。悲運のふたりが、逢坂山という含みのある名前の辺地で廻り合い、しみじみとお互いの身の上を語り合い、別れ行くというストーリーです。表向き変化のあるドラマチックな物語ではありませんが、人物設定、場面設定、テーマ、展開など、非常によく練りこまれた秀作です。
出家を強いられた蝉丸が、古歌を引きながら、なじみのなかった蓑、笠、杖を手にする場面、琵琶を抱えて泣き臥し、転ぶ場面、逆髪が秋口の京の都を抜け、粟田口から東山を抜けて逢坂山に向かう道行の場面、水鏡に己の浅ましい姿を映して驚く場面、侘しい藁屋にてふたりが手と手を取り合う場面、涙に暮れながら別れる場面……。一つひとつの場面が、ヒタヒタと心に迫り、くっきりと深い印象が刻まれます。ハンディを背負うふたりの貴人が、静かに流れていく時間のなかで見せる素直な心象もまた、切なさ、やるせなさとともに、いとおしさをも感じさせてくれます。
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