秋の頃、京都・清水寺にて、駿河国(今の静岡県あたり)の清見が関から来た女が、観音様に向かい熱心に祈りを捧げていました。彼女は、わが子の千満(せんみつ)が行方不明になったため、再び逢いたい一心で、都までお参りに来ていたのです。祈りの間にしばしまどろんだ女は、霊夢を見ます。そこに、清水寺門前の者が来て夢を占い、わが子に会いたいなら近江国(今の滋賀県あたり)の三井寺へ急いでいきなさいというお告げだと判定します。女は喜び、早速三井寺へ向かいます。
三井寺では、ちょうど八月十五日(旧暦)を迎え、僧たちが月見をしようと待ち構えています。そこには、三井寺の住僧に弟子入りした千満の姿もありました。人々が、中秋の名月を鑑賞しているところに、物狂いとなった千満の母が現われます。興味を持った能力(のうりき:寺の下働きの男)の手引きで、女は女人禁制の寺に入り込みます。女は鐘の音を聞いて面白がり、三井寺の鐘の来歴を語り、鐘楼に上がり込んで鐘を撞き始めます。さらに女は鐘にまつわる諸々の故事を引き、古歌や古詩を詠じ、鐘と月とを縁として仏法を説きます。
女を見て何かを感じた千満は、師僧を通じて女の出身地を聞き、声をかけます。女と千満は互いに母子だと認め合い、涙の対面を果たします。そしてふたりは故郷へ連れ立って帰り、豊かに暮らします。
鐘と月とを背景に据えた、子別れの狂女物の名曲です。前半は、清水寺を舞台に、夢の告げを受けて三井寺に向かう母の姿が描かれます。身元のしっかりした上流の女性であることがうかがわれ、この時点ではまだ物狂いにはなっていない様子で、静かな立ち上がりです。
後半、舞台上にかわいらしい小さな鐘の吊られた、鐘楼の作り物が据えられると、場面は一転します。陰暦八月十五日、中秋の名月その日を迎えた三井寺を描き、月見の華やいだ雰囲気のなか、詩的で劇的な物語が進んでいきます。
月見に興じる僧たちの前に、狂い笹を持って物狂いと化した女が登場。女は月下の景色を愛で、鐘楼にまであがりこんで鐘をつき、鐘につきまとう幾多の物語を語ります。風情豊かな情景が、作り物の存在感をバックに、流麗な謡の言葉と、物狂いの女の緩急のある独特な動きに乗って、見る人の心の眼の前に差し出されるのです(その裏には鐘を撞いて目立ち、子どもの手がかりを得たいという母心も垣間見えます)。
言うまでもなく、「鐘」はつくもの、「月」とは掛詞で結ばれています。さやかに響く鐘の声、さえざえと澄める月の輝き……。鐘と月が彩る詩情が、言いがたい気配となって伝わってきます。
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