早春の頃。東国から都へ旅をしてきた僧の一行が、見事な梅の咲く東北院(とうぼくいん)に着きます。僧一行は、門前の人から、この梅が「和泉式部」の名を持つと聞き出して、さらに眺め入っていました。そこにひとりの女が現れ、この梅は「好文木(こうぶんぼく)」「鶯宿梅(おうしゅくばい)」という名で呼ばれるべきだと正し、和泉式部が手植えした故事を語ります。なおも僧が女と言葉を交わしていると、女はやがて、夕べの日に紅く染まった梅の木陰に隠れ、見えなくなってしまいます。
僧は再び門前の人より東北院の謂れや和泉式部の物語を聞きだします。門前の人は、女は和泉式部の霊であろう、懇ろに弔いなさいと僧に勧めます。
僧が法華経を読んで供養していると、和泉式部の霊が現れます。和泉式部はすでに成仏して歌舞の菩薩となっていることを明かし、生前の仏縁の思い出を語り、また和歌の徳、仏法の有難さを説いて、舞を舞います。その後、和泉式部は、色恋になじんだ昔を懐かしむ姿をも見せて恥じらい、暇を告げて方丈の部屋に入っていきます。そう見えたところで、僧の夢は覚め、和泉式部の姿は消えて行くのでした。
古くは「軒端梅(のきばのうめ)」の名をいただいたこの能には、全編、早春の梅の、匂い立つ端麗さが漂っています。また、平安朝の歌人で、華やかな王朝文学を担った才媛のひとり、和泉式部を主人公として、往時の宮廷サロンの典雅な気配も感じられます。
話の筋は取り立てて変化のあるものではありませんが、和歌の徳を称え、かつ仏法の有難さを説いた深みのある内容を備え、あくまでも三番目物(鬘物)らしく、美しく、香ぐわしい優雅な風情に浸れる曲です。
曲名になっている「東北」は、陰陽道による鬼門、すなわち、悪事や禍をなす鬼の入り込む方向とされ、古来、鬼門封じの寺院が設けられるなどしてきました。平安時代の京都では、鬼門にあたる場所に東北院(もともとは上東門院)というお寺が置かれ、そこがこの曲の舞台です。京都市左京区には今も物語の舞台となった東北院があります。幾度かの焼失や移転を経て、和泉式部が生きた当時とは場所も建物も異なりますが、境内には和泉式部ゆかりの軒端の梅とされる古木もあります。訪れると時の止まったかのような寺院のたたずまいに、往古がしのばれます。能にゆかりある名所の旅も、能をより深く堪能する道。機会があればぜひ足をのばし、時を越える感覚を楽しみたいものです。
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