ある夜、貴船(きぶね)神社[京都市左京区鞍馬貴船町]の社人に夢の告げがありました。丑の刻(うしのとき・うしのこく)[午前2時頃]参りをする都の女に神託を伝えよ、というものです。真夜中、神社に女が現れました。女は、自分を捨てて後妻を娶った夫に、報いを受けさせるため、遠い道を幾晩も、貴船神社に詣でていたのです。社人は女に、三つの脚に火を灯した鉄輪[五徳]を頭に載せるなどして、怒る心を持つなら、望みどおり鬼になる、と神託を告げ、女とやり取りするうちに怖くなり、逃げ出します。女が神託通りにしようと言うやいなや、様子は変わり髪が逆立ち、雷鳴が轟きます。雷雨のなか、女は恨みを思い知らせてやると言い捨て、駆け去りました。
女の元夫、下京辺りに住む男が連夜の悪夢に悩み、有名な陰陽師、安倍晴明を訪ねます。晴明は、先妻の呪いにより、夫婦の命は今夜で尽きると見立てます。男の懇願に応じて、晴明は彼の家に祈祷棚を設け、夫婦の形代(かたしろ)[身代わりの人形]を載せ、呪いを肩代わりさせるため、祈祷を始めます。そこへ脚に火を灯した鉄輪を戴き、鬼となった先妻が現れます。鬼女は捨てられた恨みを述べ、後妻の形代の髪を打ち据え、男の形代に襲いかかりますが、神力に退けられ、時機を待つと言って姿を消します。
女の恨み、嫉妬心の恐ろしさを、禍々しい鬼の姿で表現する能です。丑の刻参りでかけられた恨みの呪いを祈祷ではね返す、呪術の力を示す話とも言えます。しかし嫉妬の鬼の前では、稀代の陰陽師、安倍晴明も影が薄いようです。鬼女は撃退されますが、一時力を失っただけのようで、いつ機会をうかがい現れるか知れません。力強い陰陽師の存在感もかすむほどの、捨てられた女の凄まじい恨み。それを緩急鋭い謡や囃子と、なまなましい型で伝えます。
貴船神社は、京都市中心部から北へ外れた鞍馬の山にあります。町中に住んでいただろう女が、通うには大変な距離で、それだけでも異常です。女の恨みのほどがわかります。
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