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幼い頃から能に接していたり、あるいは大人になってから能に魅せられたり、と、十人十色の能とのご縁。
子供の頃、庭には池があった。ぼんやり水辺にいるのが好きだった。水中を泳ぐマツモムシやオタマジャクシ、鯉や金魚。水底に沈んだ陸にいたはずの昆虫の死骸。ヤゴが羽化し、トンボの姿になっていくのを一日眺めたり。私にとっては大事な時間だった。 ということを後にある雑誌のインタビューで話したところ、うまく文章にならない私のとりとめのない言葉を、「生と死のバランスを取るような時間だった」とまとめて下さったと記憶している。 高校3年、私は漫画家となった。池の水底や冬はストーブの火を見ていると、不思議と集中できストーリーが生まれた。 物語を作ることは夢を見ることと似ている。夢というのは、起きているときに入った情報を必要・不必要に振り分ける時に見るらしいと聞いたことがある。自分ではまだ意識されない無意識の感情が現れるとも聞いた。私の話作りもこんな感じだ。(実際考えているうちに睡眠のリズムが崩れ、寝ても熟睡できず起きているとただ眠いという状態になり、眠っているのか起きているのかわからなくなった頃に出来上がる。)
能にも出会った。漫画家としてのスタートとほぼ同時だったからか、欧米型の起承転結の筋立てがないのに驚いた。能ではなにかの出来事は既に終わっており、亡霊であるシテが回想し想いを語る場合が多い。成仏してもしなくても、語り終えるときちんと消えていく。 それから20年以上も経った2001年になって、能役者を主人公とするシリーズを開始。それまでは年に一回観るかどうかだったのが、勉強のためにと一年間に百番程も能を観ることとなった。 生きた人間のように面の表情が変わる奇跡の舞台(故・八世観世銕之亟さんの『朝長』)をビデオで観てしまい、人間にこんなことができるなんて、人間ってすごい!と感動、絶対に生で観たいと思ったのも大きな一因。もともと好きだったこともあってたちまちはまった。 始めのうちは丁寧に筋を追って観たが、その季節の同じ曲を二回・三回と立て続けに観ることとなり、登場人物と共に自分の考えを巡らす時間ともなった。
「隅田川」を観ながら親しい人を見送った経験を思い起こす方は多いと思う。同じように、例えば観世榮夫さんの「姨捨」の場合。旅の都人が去った後、シテの老女が一人舞台に残る。私にはワキの都人が去ったのではなく、シテの気持ちの中からワキの存在が消えて過去への愛情が溢れたように感じられ、舞台を観ながら自分の過去をも遡った。 こんなにはっきりした考えだけではない。夜の闇。以前近所にいた人のおぼろげな顔。今かかえている仕事。かつてあった、ホテイアオイの咲く川。様々な想いが生まれ整理され、残ったり消えていったり……やがて最初のなにもないまっさらな舞台に戻り、私も日常に帰り続きを生きる。 私にとっては能を観ることも、夢を見ることと似ているのだ。 家の建て替えをした時に庭の池はなくなっていた。火の見えるストーブもなくなり、今や温風暖房や床暖房になった。 もしかすると能舞台は私にとって、水辺であり火なのかもしれない。「生と死の」「意識と無意識の」バランスを取るような場所。生きている限り夢を見る。生きるために見るのだろうか。
さて、最近は取材のため訪れている宇治にもはまっている。いつもお世話になっている旅館の部屋は真っ正面に宇治川が広がり、見飽きることがない。初夏にはトビゲラが大発生し、それを目当てに野鳥やコウモリが集まり、時には入水もあり、また小さな魚や虫が生まれる。ダイナミックな命の連鎖、私の好きな水辺。 いくつかの死を経験してこの地にやって来たらしい青墓の長者(能『朝長』)のような旅館の主は、「いいことも悪いことも生も死も、全部飲み込んで流れていく。そんな場所なんです、宇治川は」と言った。そして「やっぱり生きるってことはすごい」とも。 いつか能に誘ってみたい。きっとはまってくれるはずだ。
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