|
|||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
爽やかな風薫る日、東京・神田の檜書店を訪れる機会を得た。檜書店は、わんや書店、能楽書林と並ぶ能楽専門の出版社で、謡本などを出版・販売している。江戸時代から続く老舗だ。
江戸時代から続く、謡本の版元として檜書店とは、どんな出版社ですか?観世流宗家、金剛流宗家の謡本版元、というのが大きな役割です。歴史は古く、京都の山本長兵衛という人が、江戸時代初期に出した観世流の謡本が源流です。いちばん古い奥付は、万治2年(1659年)になっていますから、350年ほど昔ですね。山本長兵衛家(山長)は、両替商を営んでいた私の先祖と、隣同士でした。そういう縁もあったのでしょう。幕末の慶応年間に、山長の版権を当家が買い取り、版元になった次第です。これに前後して、いろいろな謡本や注釈書の権利も、他所から購入していました。そこから約150年経ち、私で5代目になります。 金剛流の謡本は、明治31年(1898年)に初めて出版しました。当時、京都が本店でしたが、当地の金剛謹之助と親交があり、そのつてで、大阪の山岸弥平という人が明治15年(1882年)に出した版が持ち込まれたらしいですね。昭和になると、宗家・金剛右京の書いた謡本も出して継続的な関係を築き、現在の新本になってからもずっと出版しています。 謡本以外では、どういう本を出されているのでしょうか?謡の参考書に加え、カセットテープやCD、DVDなど、実際の謡い方や仕舞の実演を記録した媒体も扱っています。最近では、能や狂言の入門書、能楽を知るための参考書に力を入れています。漫画やカラーブックスのほか、謡曲の詞章と現代文の翻訳を併記して、演目を把握しやすくした「対訳で楽しむ」シリーズを出し、新しい能楽ファン層の拡大を図る取り組みなども行っています。 銀行マンから転身、家業を継ぐ老舗に生まれて、能にずっと親しんでこられたのですか?それがまったく逆でして……。確かにこういう家に生まれ、小学校低学年までは、祖父に連れられて仕舞を習っていました。ところが年長になるとだんだん学校が楽しくなり、友達づきあいもできてくる。すると、どうも馴染めなくなり、なるべく能との接点をもたないように、逃げ回っていましたね(笑)。とはいえ、家の仕事なので、能を見に行く機会はあり、会社に来て謡本に接する機会もありました。ただ、積極的に能を習おうとか、勉強しようとは思いませんでした。 その頃の、能についての印象をお聞かせください。能のどこに興味を見出したらいいのか、わからない状態でした。敷居が高いとまでは思いませんでしたが、「時間が長い」、「動きが少ない」など、一般的に言われる要素がネックになりました。また能楽関係の家に生まれたからこそ、能楽堂で寝るわけにもいきませんし。当時は、純粋に楽しめなかったのでしょう。 能と関わりのない生活を送っておられたのですね。大学も経済学部に進み、卒業して普通に就職し、銀行に勤めました。母が一人っ子でしたから、あとを継ぐのは私になるのだろう、そのうちに家業を手伝わなければ、という認識はありました。しかし現実的ではなく、能の世界の勉強もせず、稽古もせず、逃げ回る状態は続きました。ただ、そうも言っていられなくなり、8年間勤めた銀行を退職し、1999年からこちらを手伝うようになったのです。 家業に入って間もなく10年経とうとしていますが、自分が逃げ回ったからこそ、見えてくることもあります。能を知らない方の、「敷居が高い」、「馴染みにくい」と感じるところなどが。能をよく知っている人は、そのへんの感覚をもちにくいのではないかと思います。私は能の専門知識には欠けるものの、普通の人にとって、能のどの部分がつまずきになるかが、わかります。ですから、能のここがわかると面白くなりますよ、と示すことができる。そこで今は、能の入門、普及に力を入れているわけです。 変わりゆく能楽ファン層に、何をアピールするか経営者として、難しい点は何でしょう。能楽専門出版社としては、限られた市場で、一定以上のレベルのものを出して、能楽ファンの皆様に喜んでいただく必要があります。そのために専門知識をおもちの先生方に本を書いていただくことも必要で、時間も経費もかかります。一方で、部数はそう多く出ませんから、価格がどうしても高くなりがちですね。そうは言っても、高額になると、読者数も極端に少なくなってしまいます。ある程度予算を抑えながら、たくさんの方に読んでいただきたい。けれども、きちんとしたものも作らなければならない。これはなかなか難しいですね。 限られた市場の、現状をもう少し詳しくお話いただけますか?かつては謡本とその参考書が経営の軸でした。歴史を振り返ると、能は謡い、仕舞などを稽古する人たちによって、支えられてきました。私たちも謡本の出版を通じて、その人たちのニーズに応えてきたわけです。ところが、この数十年で稽古をする人が非常に減りました。昭和30〜40年(1955年〜65年)頃は習う人も多く、謡本の印刷もピークだったのですが、その頃と比べると、謡本の出る冊数が10分の1まで落ち込んでいます。お稽古ごととしての能が、ポピュラーではなくなったんですね。 一方で、催しは結構多い。昭和の後半から平成バブルの前まで、非常に増えた時代を経て、減少したものの、稽古する人の数に比べると、まだまだ多いですね。シーズンになると薪能がいろいろな地域で開催される状況もあります。狂言だけの公演も増えている。そういう意味では、見所のお客様が、能を支えるかたちに変わりつつあるのかも知れません。しかし個人的には、やはり能は、お稽古をする方々の支え抜きでは、今後継続、発展していくのは難しいと考えます。 この状況で、能楽専門出版社として、どんな役割を担われますか?これからは、観客が能を支える仕組みをどうサポートするか、を考えなければなりません。最初に能を見るとき、「面白いな」と思ってもらえる参考書が、まず求められますね。そこを起点に少しでも興味をもってもらえたら、その先に、能のいろんな面白さ、楽しさを知っていただく本を用意して誘導する、そういう仕掛けが必要だと思います。今もこのインタビューに出ておられる林望先生に「わかりやすい言葉で能を伝える」本をご執筆いただいているところです。そして最終的に能への理解を深めていただき、謡い、仕舞のお稽古の方へ入っていただけないか、と思うのです。 実際に、お稽古を始めると、謡が面白くなってきますし、自分の稽古した曲は、その情景も、舞台上でもっと見えてくるんですよ。私自身、稽古を重ねてわかってきました。能には、もっと奥深くていろいろな楽しみ方があると、漠然とですが、気づいています。そこまで誘導できる商品や書籍を作っていきたいですね。 先に挙げた「対訳シリーズ」は、その仕掛けのひとつです。能を見るには興味をもてないと難しい。美術的なことに興味のある人なら、装束や能面に興味をもてる。音楽だったら、笛の音、鼓の音といった囃子からも入れる。でも私は、まず何を言っているのかを、「能を知らない」自分が知りたいと思いました。能を見に行く前に、詞章と意味だけでも知ることができたら興味をもてるかなと。そこから入ることにしました。最低でも100曲はそろえたいですね。このシリーズが、能を見に行く方々のスタンダードな手引書になれば、もっともっと能に興味をもっていただけるんじゃないかな、と期待しています。 入門教室「能を身近に感じる会」をサポートお稽古に誘導するための、具体的な取り組みはされていますか?和のお稽古ごとは全般的に、良し悪しありますが、しきたりや暗黙のルールが多いと思います。個人で習う、英会話教室や料理教室などは、月謝や時間割の明快なシステムがあります。ところが和のお稽古ごとは、一般にどこに先生がおられて、どこで習えるかわからない、月謝以外の費用がいくらかかるかわからないなど、当初は明快ではない部分を抱えています。慣れてしまえば、不都合、不明快でないことがわかるのですが、「とてもお金がかかる敷居の高いお稽古ごと」というイメージがつきまといます。 そこで当社は、初心者がしきたりに戸惑うことなく、観世流のお稽古を気軽に体験できる教室、「能を身近に感じる会」のお手伝いをしています。東京都内いくつかの地域を拠点に、それぞれ2〜4名の先生に担当していただき、月2回の謡・仕舞の入門講座を行っています。先生と生徒の皆さんで運営してもらい、募集や事務、場所の手配を私たちがボランティアで手伝います。 最初に金額や時間、場所を明快にして、年末に発表会を行う、とスケジュールも決めておきます。一通りの入門を終えて、個人的に深く学びたい人は、何人かいらっしゃるなかから、自分に合う先生に付き、その後に習うこともできます。先生は流儀の中心で活躍されている方ばかりですから、ある意味、贅沢なプログラムです。このように決まりごとを最初に打ち出しておくと、結構とっつき易いのか、問い合わせが多いですね。 参加者の男女比は、ほぼ半々で、中心は50代後半から60代、70代くらいの年配の方です。最近は、少し仕事も落ち着いて、第一線から離れた60代くらいの男性が増えています。昔取った杵柄という人もいれば、まったくの初心者も参加し、こちらの方が多いですね。年末の発表会にもなると、女性は皆さん着物を召して来られ、結構盛り上がっていますよ。 能楽を常に支えつづけるという意味出版以外の能楽普及への取り組みについて、ご紹介ください。ご近所の神田明神薪能では、事務局のお手伝いをするなど、細かい部分でいろいろなサポートを行っています。また私の祖父の時代には、わんや書店さんや能楽書林さんともども、三役(ワキ方、囃子方、狂言方)の養成に携わる能楽養成会(旧・能楽三役養成会)のお手伝いを、継続して行ってきました。昭和29年(1954年)にスタートしたこの活動は、大変意義深く、戦後の能楽界を支える人材を育てる役割を果たしました。ほぼ30年続いたあとで、国立能楽堂のプログラムとして引き継がれています。 私たちは、能からは離れることはできません。能を常に支えつづけることが、事業の存続、拡大につながります。本を出す以外の、能を習う人を増やす活動、能を支える活動も大切な取り組みです。 いろいろな活動に携わるなかで、若輩の私なりに大切にしているのは、能の本質から外れないようにしたい、ということです。たとえば、これまでは行われてこなかった能の連続公演を、という方向が今後出てくるかもしれません。しかし、それは「一期一会」という能の本質に合っているでしょうか。本質とは何か、そのなかで継続していくために変えなければならない、でも崩してはいけないものは何か、など、多くの難しい問題を含んでいますが、私なりにこれからも考えつづけていきたいと思っています。 能は日本文化を守る仕組み能をご存じない、一般の方々へ訴えたいことはありますか?能を一度も見たことがない人は、非常に多いですね。私の友人を見回しても、そう。能の世界から一歩外に出ると、能という言葉は知っていても、それがどういうものかわからない人が多いですね。能と狂言の区別はおろか、歌舞伎との区別もつかないことさえある。そんな皆さんに、ぜひ一度見ていただきたいですね。こちら側でも努力をしなければいけないと思いますが、本音を言えば、学校教育の場で、能を含む伝統芸能を、子どもたちが学ぶ機会を設けてほしい。 グローバル化の時代、国際化すればするほど、自国の文化をきちんと教えることが大切ではないでしょうか。日本の音楽や芸能、芸術、精神的な文化を、外に説明できる力が、これから求められると思います。 上手は下手の手本、下手は上手の手本能面、能装束、能舞台……。能を守ることは、それに付随する日本の文化を守ることにつながりますね。謡本ひとつ取っても、和紙や絹糸など原材料の製造から、和綴じ製本の細かい技法まで、多くの職人さんたちの手で、支えられています。能が廃れると、謡本も売れなくなり、熟練の手仕事で支えてくださる職人さんの事業も、立ち行かなくなります。実際に謡本の販売量は減り、もはや絶滅の危機に瀕した瀬戸際の状況です。これは、広く強く訴えたいと思います。 能は演技を受け継いでいくだけではないのです。能を盛り上げることは、日本文化全体を、足元からきちんと残していく取り組みになります。私たちは、さまざまな局面で適切な書籍、商品、情報を届け、何とかその一助のなりたいと、強く願っています。(インタビュー:2008年5月) |免責事項|お問い合わせ|リンク許可|運営会社|
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||